
1982年10月15日、岡山市生まれ。妊娠7ヵ月めで早期胎盤剥離があったため、帝王切開での出産となりました。
生まれたときの1905グラムで、産声も少ししかあげませんでした。体の色も蒼白く、核黄疸のため保育器のなかで光線治療を受けました。呼吸が浅かったため赤ちゃんは別の大きな病院に移されました。移動の途中で酸素を与えられ、その後3日間は人工心肺装置に入れられました。その後体重が2500グラムを超えるまで、1ヵ月間入院していました。
生後18ヵ月のときに、晋太郎くんは脳性麻痺と診断されました。3歳になったころから発作が始まり、薬剤での治療を受けることとなりました。4歳で歩き始め、さまざまな理学療法を受けていましたが、1994年1月、晋太郎くんが11歳のときにお母さんが「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」のコースに参加しました。
研究所の本やこのコースから得た情報をもとにご両親は、少しだけでしたが脳神経編成プログラムを開始しました。その間に、3歳のときから服用していた2種類の抗けいれん剤も、特に問題なく除去することができました。それまでの8年間に、晋太郎くんは合計約100回の発作を起こしていましたが、11歳になるころには発作はすっかりなくなっていました。このような成果に励まされたご両親は、晋太郎くんのプログラムをさらに強化しました。
1995年8月に初めて研究所を訪れたとき、ご両親は、晋太郎くんのもつ主な問題として、爪先が内反したり、かかとが地面につかないなど、歩き方の質が悪いことと、勉強の面で同年齢レベルから遅れていると指摘しています。視覚の収束も悪 く、疲れやすい状態でした。1年生初期レベルの本を読んでいましたが、スピードは遅く、文字をとばして読んだりしていました。
理解力と言語は5歳児レベルで、日常会話もごく簡単なものに限られていました。書くことにかんしては、かなりの遅れがありました。びんの蓋をひねって開けるなど、両手を一緒に使うことも上手ではありませんでした。触覚と嗅覚が過敏でしたし、同じ質問や意見を繰り返すなど、社会的に不適切な行動もみられました。
初回の評価のときの生活年齢は154ヵ月で、72ヵ月であってよいはずの脳神経年齢は60.83ヵ月で、重度、拡散、両側の中脳障害と診断されました。
その後3年半、晋太郎くんとご両親は、研究所スタッフが作成した脳神経編成プログラムを毎日しっかりとおこないました。その間晋太郎くんは学校の勉強も頑張って、中学の生物の授業にも出始めました。
そうするうちに晋太郎くんは、頑張って高校の入学試験に合格することが非常に重要だと気がつき、さらに努力して、国語、英語、数学などの学科の勉強を始めました。この努力が実り15歳のときに高校入試に合格しました。
1999年1月、ご両親は、晋太郎くんの優れている点として、誠実であること、努力家であること、礼儀正しいこと、くよくよせず、考え方が前向きであることなどを上げています。弱点としては、社会での経験不足、仕事をしたことがないこと、書くのが遅いことなどが指摘されましたが、これらの点も追いつき始めていました。ご両親は、晋太郎くんが本格的に学校に行き始める体制が整ったという確信をえました。
こうして研究所スタッフとご両親は、川上晋太郎くんをグラジュエーション・トゥー・ライフとし、脳神経的に残された問題があれば、実社会での経験をつうじて磨きをかけていく方向をとることにしたのです。