
問題点が見えていて、その解決法もわかっているのに、なにもできないでいることは、何よりも大きなフラストレーションのひとつと言えるでしょう。
人間能力開発研究所の集中プログラムをおこなっている家族で、自分の子供のほかに、甥や姪やいとこの中にも脳神経的な問題のある子供がいるという場合、これは大きなジレンマなのです。研究所のスタッフもそれと同じことを感じます。担任のクラスのなかにも、脳神経的な問題をもつ子供がいるのに気がつきながら、自分では解決してやれないでいる賢い先生も、それと同じジレンマを感じています。
「ほんの少しだけ」脳障害がある子供が目の前にいるのに、それについて何もできないでいることほど苦しいことはありません。現在の障害が「ほんの少しだけ」でも、あなたは、口には出さないまでも、その「ほんの少し」のことがゆくゆくは何 らかの大きな問題につながることを知っているからです。そして、その子が脳障害だと気がついているのは、あなただけだからです。
最大の問題はそこなのです。
脳障害であること自体よりも、そちらの方が問題としては大きいかもしれません。
その子のどこが悪いのか、だれもわかっていないということは、つまり、その子が同年齢の子供と同じことができるはずだと思われていることを意味します。だからその子が何か失敗すれば、他の子に追いつかせようとやっきとなって、筋のとおらない、非科学的な方法が講じられたりすることになるのです。遅れた子の ためのクラス、矯正学級、養護学級、アンフェタミン(中枢神経刺激剤)の使用、精神薬、不適切な手術、精神病の治療など、そのほんの一例にすぎません。 「ほとんど完全だけれど、わずかに不足がある」子供のことを、満足できるレベルではないと世間がみなしたとき、そういう子供たちの前にはこういうことが立ちはだかるのです。
このような荒治療のどれもが、脳そのものの治療ではないことは悲劇です。
それが脳神経的な問題であることに気がついている人は他にはいません。気がついているのはあなただけで、自分の兄弟や、義理の姉妹や、近所の人々に、子供が2年生で落ちこぼれたのは「もともと何につけてものろい子だった」とか「頭が悪い」とか「怠け者」だからではなく、斜視があるせいなのだということを必死に説明しても、分かってもらえなかったりするのです。
親友の6歳になる子供が、うまく自分の言いたいことを言えなかったり、朝から晩まで、家族が疲れ果てるほど走り回っているのは、年齢的にまだ多動が収まっていないだけのことではなさそうだし、中枢神経系の問題だとしても、アンフェタミン(リタリン)を服用させるのは中枢神経系に効果がないばかりか、害になることもあるということを、その親友にどう説明しようかと、あなたは考えあぐねているのです。
あなたのいとこの8歳になる息子さんが、学校の勉強についていけないというので、特殊学級に入れられてしまったらどうなるでしょう。普通学級の3分の1の進度で教えればうまくいくと思っている教師のもとで、全く健常な子供でもそのクラスで1年過ごしたら遅れてしまうような授業を受け、そうなったらもう他の同年齢の子供に追いつくことはできなくなることが、あなたのいとこには何故はっきりと見えないのでしょうか。
いったいなぜでしょう。
まったく健全でまともな精神をもつ世界であったなら、そういう子供の親に 『What To Do About Your Brain-Injured Child(邦題:親こそ最良の医師)』を手渡し、読んでください、と薦めることが、このような問題のひとつひとつについての最も簡単な解決策でしょう。
しかしこの世は健全でまともなところとは言えません。現実はどうかというと、あなたが兄弟や、いとこや、親友や、近所の人に『親こそ最良の医師』などという本をあげたなら、彼らはもうあなたには一言も口をきかなくなることが目に見えているのです。この人々は、自分の子供が脳障害であることが分かっていないのですから、脳障害について知りたいなどとは思っていないでしょう。ほとんどの人にとって、それを学ぶのはあまりにも厳しい道なのです。
こうしてほとんどの親御さんは、かつて出版された本のタイトルを借りれば、「ジョニーはなぜ読めないのか」という際限のない理論に振り回されることになるのです。
この理論の1番目にくるのは、ジョニーはバカだから、というものです。
しかしジョニーは、これまで常に、何でも他の子供たちと同じように上手にできることを皆に見せてきていましたから、ジョニーが愚かだという説を擁護するのはなかなか大変です。ジョニーがどうもうまく出来ないと思われるのは、読むことだけなのですから。それならジョニーのどこが悪いのでしょうか。
理論の2番目は、ジョニーの先生がバカだから、というものです。
これはしょっちゅう言われていることで、教師と教育方法について研究するために、膨大な額の費用が投じられています。こうした研究では、読みに問題のある 子供たちについては、驚くほど一貫した結果が出ています。つまり、学校でどんなに読みを教えても、学年レベルのものを読みこなせない子供が約35%いると いうのです。それならば、「バカだ」といわれてしまった先生たちに読むことを教わって、65%の生徒が成功していることになりますが、そのこととはどうつじつまを合わせるのでしょうか。教師がそれほど無能なら、なぜ生徒全員が失敗しないのでしょう。
理論の3番目は、ジョニーの問題は心理的なものだというものです。
35年前には、この理論はとても人気がありました。年齢レベルの読みの力のない子供は、自尊心に欠けると言われていたのです。というより、自尊心が低いことが、読みの問題の原因になっていると言われたのです。この論理はいささかやっかいなものでした。読めることが非常に重要だとされている社会に生きていて、ほかのみんなは読めるのに、自分だけは読めないことに気がついた子供がいたとします。そのことに気がつくのは、感受性があるからだとは考えられないでしょうか。ものごとの現実と、本当はこうあるべきだという姿との違いに気がついて、その違いにはっとする、というのは、知性があって、まともな精神の持ち主だという証拠にはならないでしょうか。
読むことに問題をもつ子供が、自分が同年齢の子供たちと同じようには読めないことを悩む必要がなければ、もっとよかったというのでしょうか。
つけ加えれば、このような子供が脳神経のプログラムを始めると、短期間で進歩をみせ始めることを、私たちは発見したのです。彼らは、読めるようになり始めると、自分自身について大きな喜びを感じるようになります。プログラムによって読みのちからを学年レベルにまで、さらにはそれ以上にまで引き上げることに成功すると、何をするにも、自分はつまらない人間だなどと思わなくなってくるのです。
4番目の理論は、35年前の時代の空気から考えれば完全に予測のつくものでした。この理論によれば、それはジョニーがバカだからではなく、先生がバカだからでもなく、ジョニーに心理的な問題があるからでもなく、ジョニーの母親に心理的な問題があるからだとされました。
それについても研究がなされ、学習に問題のある子供の母親の神経は張りつめているという結果がでました。(これを聞いて驚く人もいそうですね。)でもたしかに、そういうお母さんは緊張していることが多いのです。この理論では、子供に学習上の問題が生じるのは、母親の緊張が原因となっているという仮説が立てられました。「冷蔵庫マザー」という表現が生まれ、一躍人気を博しました。「自閉症」の子供はなぜそういう状態なのかという説明をするために、中世の知的暗黒時代のこの考え方が再びひっぱりだされたのです。
ところで私たちも、この理論についてちょっとした独自の研究をおこないました。そして、この研究をするきっかけとなった私たちの考え方は絶対に正しかった、と分かったのです。学習に問題のある子供の母親には緊張がある。たしかにそうです。自分の子供が、読むことを身につけられないだろう、したがってゆくゆくは人生で失敗ばかりするだろうと思って、母親たちは恐ろしい思いをしているのです。そうだったら、緊張して当然ではないでしょうか。
でも私たちは、そうした緊張しきったお母さんの子供が、脳神経プログラムを開始し、実際に読んだり書いたり、同年齢の子供たちと同じように学べるようになると、お母さんたちから緊張が解けてゆき、他のお母さんたちと見分けがつかなくなってくることにも、気がつきました。
35年前、学校の先生たちが、多動な子供や読みや学習に問題のある子供が、教育のうえで大きなジレンマになっていることを認識したのは、正しかったのです。教師たちはまさに、脳神経の問題のある生徒を識別したのですが、それだけでなく、問題は『子供自身』のなかにあるのであって、教育のしかたや、教師や、子供の親にあるのではない、ということを認識したのは、実に正しいことだったのです。最初にこのことを言いだした教師の声に耳を貸す人がいたならば、 現在の世界はもっと違った様相を呈していたことでしょう。
人々がいまだに、脳に恐れを抱いていることが問題なのです。
残念なことです。なぜなら脳は、人間の体のなかでいちばん治療がしやすい器官なのですから。ほんの少しだけ問題がある子供たちは、ほとんどの場合、のちに非常に大きな問題を抱えることになります。どこから見てもこれは悲しいことです。とくに、この子供たちの問題の性質も、その問題に対する解決策も、何年も前からはっきりわかっていたことを考えると、なおさら悲しい思いがつのります。
動きの協調が悪く多動な子供が、ときには何年もの挫折と失敗ののちに、最終的にこの研究所にたどりつくと、私たちはその子のためにプログラムを作りますが、そのプログラムは、目が見えない、耳が聞こえない、動けないという子供たちに与えるのと同じだけの密度の高いものになります。なぜなら、多動な子供も、できる限り早くよくなる必要があるからです。明日の朝からでも健常な子供になってほしいのです。その子の両親は、明日どころか、昨日にでも健常になっていてほしかったでしょう。そういう意味では、見えない、聞こえない、動けない、という子供をもつ親と少しも変わるところはないのです。
読みの問題のある子供が研究所にやってきたと き、たいていの場合彼らは、何年にもわたってレベルを落とした効果のない指導や"治療教育"を受けてきていることが多いのですが、私たちはそういう子供にも、昏睡状態の子供に与えるのと同じだけの強度をもった脳神経プログラムを作ります。もちろん、その脳神経プログラムの内容はまったく異なったものにはなりますが、密度、あるいは強度という点では、まったく同じです。なぜ私たちがそうするかと言うと、読みの問題のある子供は、できるだけ早く学校に戻って同 年齢の子供たちと過ごせるようになり、できるだけ早く、自分の力で人生を過ごせるようになる必要があるからです。
そこには、ほんの少しだけ混乱している子供を治療するほうが、非常に大きな問題のある子供を治療するよりもずっと容易だという、大きな違いが存在します。そう考えると、子供たちの35%もが、学年レベルの読みの力をもっていないという現実を目にしたときの、満たされない思いはさらに強くなるのです。この子供たちのほとんどが失敗するのは、軽度の脳神経的な問題があるからで、それは治すことができるし、治してやらねばならない問題なのです。そのような子供を治療してやらなければ、子供にも、その子供の住む社会にも、大きな犠牲を強いることになるのです。なぜならば、そういう子供を受け入れる場所はないのに、社会は、自分の居場所を見つけるために成長しようとしているこれらの子供と対処しなければならないからです。
彼らは怠け者ではありません。頭がおかしいのでもありません。そして何よりも彼らは、頭が悪いのではないのです。それどころか、彼らはおどろくほど頑張り屋で、すばらしくまともな人間で、実に賢い人間に育っていくのです。彼らは、自分たちが大きな問題を抱えているのを知っています。しかし彼らは、その問題がどこから来ているのかを知るすべをもちません。彼らは、どこからか救助の手がさしのべられるかもしれないという、万一の希望にすがり続けているのです。
私たちは時として、高いところから下界を眺めて、ちょうどよいタイミングの到来をただ待ち続けるということをしますが、そんな時は決してやってこないので す。私たちは、愛する子供たちが毎日、一日ぶんずつ死んでいくのを、ただ見守っているだけです。そんなとき、私たちもほんの少しずつ、死んでいるのです。
この子供たちを救えるのは私たちです。私たちは方法を知っています。私たちには勇気があります。いますべきことは。。。。。突撃!
人間能力開発研究所所長
ジャネット・ドーマン