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子どもたちのサクセスストーリー

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ワーキングマザー

 

 私の母がおおっぴらについたうそがひとつだけありました。フィラデルフィアの大きなデパートで働いていた母は75歳でそこを辞め、その後77歳で小さなデパートにまた仕事を見つけたのですが、そのとき母は65歳と偽って就職したのです。

 1984年のある日、母が86歳のとき、私はそのデパートに立ち寄って、車で母を家まで送り届けることになりました。

 私はずっと、母は背の高い人だと思っていたのですが、その日母と並んで車に向かって歩いていたとき、自分のほうがはるかに背が高いのに気がつきました。

 「お母さん、このところずいぶん背が縮んだねえ。いちばん背が高いときはどのくらいあった?」

 「150センチほどよ」私を見上げて、母は誇らしげな笑顔でそう言いました。

 こんなに小さな母を、なぜ私は背の高い人だと思っていたのだろう。私は考え込んでしまいました。

 もしかしたら、物心ついてからずっと、私は母の働く姿を見てきたからかもしれません。ただ、母が「外」で仕事をし始めたのは、末の子が20歳になってからでした。

 私の母は、この地球に住むすべての生物がするのと同じことをしていたのです。子どもたちが自分で生活できるようになるまでは、あらゆる時間を子どもと一緒に過ごし、そうしてから自分のしたいことを始めたということです。子どもたちを育てあげた母は、外で働きたいと思いました。そして86歳で死ぬまで仕事を続けたのです。

 子どもたちが生まれてから6歳で学校に入るまで、母は文字通りすべての時間を、子どもと一緒に過ごすことに使いました。もし誰かが私の母に「あなたは働いていないのね」などと言ったら、きっと15分も笑い続けたことでしょう。

 私の母は、大恐慌の波をかぶった中流家庭のほかのお母さんたちと同じように働いていました。料理をしたり(薪を使う古いオーブンで)、皿を洗ったり(薪のオーブンに乗せておいて暖めたお湯で)、洗濯をしたり(洗濯機はありませんでした)、家族の服を繕ったり(ほとんどお金をもたない生活でしたから、何もかも繕わなければなりませんでした。ミシンもありませんでした)、石炭ストーブの灰をかき出したり、近所の人の世話をしたり、父に気を配ったり、3人の子どもが学校に行き始めるずっと前から子どもたちに読みを教えたり、その他さまざまな素晴らしいことを一緒にしてくれたり。

 こんなことを話したら皆さんは、所帯じみた、実際の年齢より老けて見えるおばさんを想像するかもしれませんね。違います。私の母は、小さくて、きれいで、顔のしわといえば、笑いじわが少しあるくらいでした。もしかしたら子育てはあまり上手ではなかったのかもしれません。母は、空と川と森とリスと、さえずっているミソサザイが地球に出現して以来、この世で最高の発明品は「子ども」だと思っている人でした。そういう母に比べたら、父は影が薄くなります。

 母も父も、おそらく1日平均18時間は働いていたのではないでしょうか。そのなかで子どもたちに山ほどの愛情を注ぎ、子どもたちが先生という存在に出会うよりずっと前から、読んだり、知識を得たりすることの喜びの大切さを教えてくれました。両親も子どもたちも、生きるというのはこういうことだと純粋に信じて生きていたのです。

 家の中でも外でも、馬車馬のように働きながらでも、6歳までのこのうえなく大切な時期に、赤ちゃんにたくさんの素晴らしいことを教える大きな喜びを自分のものとすることはできるのでしょうか。できます!

 仕事をもつお母さんたちでも、小さな子どもに、読むことやその他の素敵なことを教えることはできるのです。実際にそうしている人々、今そうしている人々は、数え切れないほどたくさんいます。

 そう言えば私だって、大人になって初めて裕福な暮らしをしている人々に実際に出会うまでは、「働いていない」お母さんには一人も会ったことがありませんでした。

 私が当時知っていたお母さん(そしてお父さん)はみんな働いていました。現在知っているご両親も、そのほとんどが働くお母さん、働くお父さんです。1日平均12時間は働いているのではないでしょうか。

 家で働いているか、外に出て働いているのか、どちらなのかという問題ではありません。

 問題は、何時間働いて、何時間子どもと遊んでいるかということなのです。(赤ちゃんに教えることは、素晴らしく楽しい遊びです。)

 それがはっきりしたら次は「自分の赤ちゃんと一緒に過ごす貴重な1時間、あるいは貴重な1分に、私はなにをしているだろうか」と自分に問いかける番です。

 大切なのは、その貴重な時間が、親子の間でお互いの愛情と尊敬がふくらんでいくような時間であること、なによりも喜びにあふれ、なによりも生産的な瞬間であることです。

 そのために、なにをするのがいちばんいいのでしょう。

 現状を憂い、誰のことでも自分がいちばん良く知っているとでも言うかのように、大声で叫んでいる一握りの専門家たちがいます。(彼らは、小さな子どもたちは愚かで何も頭を使っていないのだから、しかるべき年齢に達するまでは、バイバイと手を振ることもおしえるべきではないと主張するなど、心理学や教育の評判をおとすようなことをしています。)でも、小さな子どもたちは、この世のなによりも、学ぶことが好きなのです。世界中のありとあらゆることを知りたいのです。それも「今すぐ」に。

 3歳になれば、子どもははっきりと自分を表現できるようになっていますから、大人が困ってしまうほど次から次へと質問を浴びせてくるでしょう。でも、このあくなき好奇心は3歳で始まるわけではありません。生まれたときからそうなのですが、ただ、それを声に出して表現できないだけなのです。

 お母さんたちが、赤ちゃんの目を見ただけでその子のことを理解してしまうのを見て、私は驚嘆せざるを得ません。それと同時に「子どもについての専門家」たちの多くはそれができないことも、私には驚きなのです。できないというより、彼らは赤ちゃんの目を見つめたことがないのではないでしょうか。

 赤ちゃんの目を見て理解できるお母さん、赤ちゃんの目のなかに、抑えきれないほどの知識欲を読み取ったなら、それをどう受け止め、どう発展させていくか、その答えが欲しいのではありませんか。それは、赤ちゃんに「ママ」と言うことを教えるのと同じくらい簡単なことです。赤ちゃんに「お母さん」という言葉を(大きな文字ではっきりと)書いて見せ、その読み方を教えるのと同じくらい簡単なことです。

 お母さんに、5分という時間が1日に4回あったなら、赤ちゃんに読むことを教えられるのです。

 さらにあと4回、5分の時間がつくれたら、赤ちゃんに自然について教えられるのです。

 1日に1時間(5分を12回)とれるなら、お母さんは赤ちゃんに、読むこと、自然について知ってそれを愛すること、世界の優れた音楽を楽しむことを教えられるのです。

 毎日、一日中、赤ちゃんのために使えるなら、この世のありとあらゆる素敵なこと、美しいものについて教えることができるのです。

 私が知っているたくさんのお母さんのなかには、医師、ジェット機のパイロット、宇宙飛行士などもいますけれど、この人たちも、小さな自分の子どもに素晴らしいことを教える時間を作り、喜びを見いだしています。世界的に有名な美しい女優さんも、赤ちゃんに教えて、赤ちゃんの素晴らしい読みの能力を発見しました。それほど有名ではない何百人ものお母さんたちも、同じようにしています。

 時間のあるなしの問題ではないのです。なにを大切と思うかの問題でしょう。

 お母さんたちはそれぞれに、自分のもっている時間のことを考え、自分自身で優先順位を決めたらいいのです。

 

人間能力開発研究所創立者

グレン・ドーマン