子どもたちのサクセスストーリー

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アダム・ミューラー

 ご両親はアダムが生まれる前に人間能力開発研究所の早期開発プログラムのことを知りましたので、初めての子供に教えるための態勢ができていました。アダムの最初のプログラムは、新生児の感覚プログラム、腹ばいトラック、単語カード、ビッツなどでした。

  こうしてアダムは、赤ちゃんのときから幅広い知性のプログラムをおこなうと同時に、さまざまな音楽にも接していました。家庭内では常にクラシック音楽を たっぷりと聴いていましたし、さらにお母さんのバンドのリハーサルに同席したり、お父さんのレコーディングスタジオに行ったりしていました。生後19カ月で、お母さんと一緒にスズキ・メソードのヴァイオリンのレッスンを受け始めました。

 アダムは主として家庭で教えてもらいましたが、研究所の早期開発クラスにも出席しましたし、のちにはフルタイムではないもののインタナショナルスクールにも入学しました。

  アダムは、この時期のことを次のように言っています。「家では母が僕の先生でした。弟たちと一緒に、フィールドトリップに出掛けたり、文学クラブに入ったり、いろいろな楽しい活動をしました。僕はコンピューターと数学と博物学に興味がありました。自然のなかを歩き回ることは、大好きな活動のひとつでした。フィールドガイドとお弁当をもって、よく自然探索をしました。フィラデルフィアの学校に行き、また、家にいることができたので、両方の世界の最良の部分を経験できて、僕は幸運でした。家では十分に時間がありましたので、好きなだけ読んだり書いたりできました。

 「インタナショナルスクールでは、とても楽しく過ごしました。ジュニアクラス(低学年)のときに好きだった授業は、博物学とギリシャ語・ラテン語の語源、それとギルバートとサリヴァンのオペレッタ「ミカド」でした。また、コーラス、ヴァイオリン合奏、体操などのデモンストレーションに参加するのはとても楽しい経験でした。あまりにも楽しかったので、人前に出て「あがる」ことなど忘れてしまったくらいです。

 「インタナショナルスクールのインターミディエイトクラス(中学年)に進級して、化学、物理、代数、歴史、コンピューター、オーケストラの授業が始まりました。ここでは1週間ごとに、「今週の科目」というのがあって、その科目を重点的に学びました。家にいる週には、学校の課題を家でおこない、それに関連したフィールドトリップをしたり、その科目につい て本を読んだりレポートを書いたりしていました。本を書くことは大好きな科目のひとつで、これまでに「和平の戦い」と「少年と騎士」という2冊の本を書きました。

 「また、運動のプログラムも本格的におこなっていて、体操、10キロマラソンや年1回行われる学校のトライアスロンのためのトレーニングや、脳障害児のための基金集めとして行われるエヴァン・トマス研究所のスイマソン(水泳マラソン)のトレーニングもしました。

 「9歳でインタナショナルスクールのシニアクラス(上級生)となり、さらに新しい科目が加わりました。視聴覚の授業では、録音や撮影の機器類や照明、音響設備について学び、毎年ビデオ作品の短編を製作します。

  「歴史のクラスでは、それぞれ自分で選んだテーマについて、深く追及して調べ、脚注つきの論文を書くのです。興味をひかれたテーマについて学ぶのに最適のチャンスでした。僕は、孔子、ウインストン・チャーチル、小火器、ゲティスバーグの戦い、プラトンなどについて研究しました。

 「シェイクスピアの戯曲5つを学び、演じたことも、胸がわくわくするような経験でした。インタナショナルスクールでの僕の舞台のクライマックスは、卒業前の最後の年に演じたハムレット役です。演劇は大好きです。実に自然に僕の一部になっているような気がします。

 「僕には他のことをする時間などないのでは、と思っている人もいるかもしれませんが、水泳チームに入ったり、武道を習ったりしていますし、友達とはよくローラーホッケーやサッカーをして遊びます。

  「12歳のときに、大学進学適性テストを受け、同年齢の学生の上位半分に入る成績をとりました。家庭でのプログラムの幅を広げるために、地元のコミュニティー・カレッジで生物のコースをとり、よい成績を収めました。これはとても楽しかったので、その後1学期の間、本格的にコミュニティー・カレッジに通い、換算評点は平均4(最高)でした」

 アダムは、2年間の奨学金を得て、16歳でいったん卒業したメリーランド州のコミュニティー・カレッジに再入学しました。1999年の秋には、フルタイムの学生としてボルチモアのメリーランド大学に入学しました。特に生物学に興味をもっています。

  アダムのお母さんのジョアンは、言語と音楽を専攻していました。子供のころに単語カードでフランス語を教えてくれたご両親の影響は大きかったようです。 ジョアン自身、出産前はプロの歌手でした。アダムの他に、ノエル、シェーン、コナーという3人の息子さんに、家で教えています。

 お父さんのビルは、オーディオ・ビデオを専門とするエンジニアです。4人の息子さんの教育に積極的にかかわる父親であると同時に、研究所の理事の一人でもあります。