子どもたちのサクセスストーリー

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中谷内優輝

 優輝くんが生まれたときから、お母さんは早期開発プログラムを始め、新生児の感覚プログラムと前庭器官のプログラムを家庭でおこなっていました。

 生まれたときか体が大きかったので、腹ばいトラックはすぐに窮屈になってしまいましたが、その後も1日の大半を床の上で腹ばいで過ごしました。棒にぶら下がることも頻繁におこなっていたので、ブレキエーションを覚えるのは簡単なことでした。

 小さいころ、優輝くんは3カ国語を話す環境にいました。お母さんは日本語を話し、お母さんの手伝いにくる人たちはスペイン語(その後はイタリア語)を話し、周囲の人々は英語を話していました。

  知性面のプログラムは、ビッツカードやたくさんの読みのカード、手作りの本(3カ国語の)などを含む、しっかりしたものでした。市販の本を独りで読み始めたのは3歳でしたが、それまでに読んだ手作りの本は300冊を超えていました。赤ちゃんのとき怪我をして入院しましたが、病院という慣れない環境のなかで、家からもってきた本が家庭とのつながりを保ちました。

 小さいときから優輝くんは本の虫で、言葉に関しての知識は広く、楽しみのために辞書や百科事典のページを繰ることもしばしばです。のち、たくさんのシェイクスピア作品を勉強し、実際に演じたことで、語彙はさらにふくらみました。

 研究所のスタッフであるお母さんと一緒に、1カ月ほどイタリアや日本などに行くことも多く、それぞれの国で学校に行って、日本語とイタリア語にさらに磨きをかけました。

  日本語を流暢に話せる優輝くんは、日本語の先生役や、通訳もしています。学校では日本からの留学生の手助けをしたり、日本語のクラスのアシスタントをしたり、日本からやってくる脳障害児の家族の通訳を務めることもあります。また長年にわたってアメリカ・ボーイスカウトのメンバーで、日本やカナダのスカウトとも連絡をとり続けています。

 インタナショナルスクールを卒業した優輝くんは、フィラデルフィア地域のフレンド会の有名な学校に 入る道を選びました。勉強では数学とコンピューターが好きで、大学でもその勉強を続けたいと思っています。またピアノを演奏するほか、学校の合唱団の重要なメンバーで、合唱団のデンマーク、ノルウェイ、スウェーデンの公演旅行にも参加しました。自由研究のプロジェクトとして、優輝くんは自分で企画して、東京のフレンド会の学校で、英語の先生のアシスタントを務めました。

 お母さんの美紀さんはシングルマザーです。大学で教育学を修め、20年以上にわたって研究所のスタッフを務めており、現在は知性面を優秀にする研究部門のアソシエイト・ディレクターであり、エヴァン・トマス研究所の発展にも大きな役割を果たして来ました。研究所の日本部門の共同ディレクターも兼任しています。