子どもたちのサクセスストーリー

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自分の役割を発見したお兄さん

 人間能力開発研究所のプログラムのことを知ったご両親からは、プログラムをおこなうことで、障害児の兄弟姉妹にはどんな影響が及ぶのかという質問が寄せられることがよくあります。日本のあるお母さんからの手紙をご紹介しましょう。脳障害のあった娘さんのプログラムをするにあたって、お兄ちゃんがどのようにして協力し、解決策の一部を担ってくれたか、そのいきさつを書いた手紙です。

 

日本のお母さんから研究所スタッフへの手紙:

 今まで常に、スタッフの皆様との面接のときには、娘麻美の成長について、詳しく報告しておりました。かぎられた時間のなかで、私たち両親は、そのことだけに集中していたために、ひとつだけ報告せずに終わってしまったことがありました。(プログラムからの)卒業を目前にして、やはり報告する必要があると思い、お手紙させていただきました。

 それは、麻美の兄、遼介がこの2年間どのようにプログラムに協力してきたかと言う報告です。麻美は身体的な障害がなかったので、パターニングのボランティア探しは困難でした。見つかるまでの半年間、当時7歳だった兄が頭をおこないました。暴れる麻美を相手に、必死に頑張ってくれました。

 パターニングだけでなく、プログラムすべてを理解していましたので、自発的に各セッションをおこなってくれました。高ばい、腹ばい、ランニング、体操、ブレキエーションもすべて自分で実際におこない、経験し、母親に、ブレキエーションの補助は「こうやるとやりやすい」とアドバイスしてくれました。

 私の体調の悪いときや、自分の時間がある時は、運動プログラムを中心に手伝い、麻美のベストタイムを作りだすことも多くありました。知性面では、教材つくりの資料集めや細かい作業を手伝ってくれました。

 そして、親に心配をかけないように、自分の学校生活も責任を持って、担任の先生から充分すぎるほどの評価を受けています。

 生活のなかでいちばん協力してくれたのは、常に麻美のプログラムをおこなうベストの環境を守ってくれたことです。友人を招くときは、プログラムの邪魔にならないように本当に気をつかっていましたし、学校の行事などで親子で楽しむ会などは、本人から、「麻美のプログラムのほうが大事だから、欠席でいい」と、何度もそのようなことがありました。やむをえず通院などという時は、常に、時間がなくなってごめんね、と詫びました。食生活もすべて協力してくれました。

 プログラム開始時には7歳の子供でしたから、理由を説明しても、不平不満がありました。しかし、成長していく麻美を見て、また毎日頑張る姿を見て、応援し、家族の一員として協力するのはごく自然なことと変化していきました。

 彼は、プログラムをおこなう親側と、プログラムをする麻美の両方を体験できる立場にあり、すべてのプログラムについて良い提案をしてくれることもありました。

 麻美のプログラムの成功に、兄の協力があったということ、親もまた、優しい兄がいたからこそ頑張れたということを報告いたします。

 誰よりも厳しく、誰よりもやさしく、常に私たちを応援してくださったこと、心より感謝いたします。これからも、麻美の良い成長を報告できるように頑張っていこうと思っています。

1997年1月

太田さとみ