
1979年9月25日生まれ。健常な子供として正常に発達しましたが、6歳半のときに外傷を受けました。
1986年5月、 学校で友人とキックボールをしていた紀子さんの頭にボールがあたりました。よろよろと何歩か歩いて倒れ、その後3日間昏睡状態でした。意識を回復してか ら、知的な面と言語能力は徐々に正常に戻りましたが、からだの右側に大きな後遺症が残りました。右手は使えず、右腕はわずか動くのみでした。右の脚も足先まで硬直していましたので、歩くことが困難でした。
その後、普通学校に通いながら、回復を願って従来の理学療法を受けました。学校では優秀な生徒でしたが、からだの右側の状態は悪くなるいっぽうでした。
娘さんの状態をなんとか改善したいと心から願っていたご両親は『あなたの脳障害児になにをしたらよいか』のコースがあることを知り、1989年1月に神戸でのコースに参加しました。
コース参加後、ご両親は自分たちで作ったプログラムを始めました。そして紀子さんは、14ヵ月間、毎日、腹ばい1000メートル、高ばい2500メートル をおこないました。さらにパターニングを1日30分、マスキングを1日60回、本格的な読みのプログラムもおこないました。
1990年3月に初めて研究所での機能評価を受けたときには、中度、やや拡散の中脳障害と診断されました。知性面では同年齢児のレベルでしたが、運動面では、自転車、水泳、ぶら下がりなどができませんでした。きれいに歩いたり走ったりすることもできませんでした。右手の硬さはわずかながらやわらいでいて、 少し使えるようになっていました。横棒からのぶら下がりも、10秒ほどできるようになっていました。
それから2年間、毎日プログラムをおこなうなかで、紀子さんは運動面、生理面、知性面でさまざまなことにチャレンジを続けました。プログラムは、腹ばい、高ばい、ブレキエーション、体操、クラシックバレエ、呼吸のプログラム、知性のプログラムなどでした。
この時点で研究所スタッフはご両親にたいして、正式なプログラムをしばらくやめて、運動面と生理面のプログラムを少しだけおこないながら普通の生活をすることで、残された問題が解消されるかどうかやってみたらよいのではないかという提案をしました。つまり「グラジュエーション・トゥー・ライフ」です。1992年7月のことでした。
6ヵ月後、ご両親から報告がきました。紀子さんは、全校で上位15%に入る成績で、成績優秀者だけの特別学級に在籍しているということでした。水泳、体操、バレエでも素晴しい能力を発揮し続けていました。ランニングでは5キロを軽く27分で走り、自転車はかなりなスピードで敏捷に乗りこなしていました。これらの能力のほかにも、ブレキエーションも前後左右すべての方向を独りでおこなうことができ、身体の両側とも素晴しい運動能力を身につけ、多くの分野で同年齢のレベルを上回っていることが明らかでした。からだの右側はまだ完全とはいえませんが、紀子さんはそれを自信をもって巧みに使いこなしています。
1993年、鳴海紀子さんは、人間能力開発研究所集中プログラムから正式に卒業しました。高等学校では成績優秀な生徒で、生徒会でも活躍し、体操のトレーニングも続けました。高校卒業後は、京都の大学で勉強しています。