
ヴァレンティナ・ジンカティは1972年8月27日、イタリアのボローニァで生まれました。研究所のプログラムを始めたのは7歳のときでした。難度の中脳障害があり、そのために呼吸、バランス、運動面に大きな問題をもっていました。
ヴァレンティナは数カ国語を話し、詩集を出版し、小論文、短編小説、戯曲などもたくさん書いています。イタリアで最高の詩に与えられる賞も受賞しています。詩を書き始めてしばらく経ったころ、ヴァレンティナは次のようなことを書いています。「私の書く詩はもはや、単に悲しみや喜びを表現するものではなく、感情と奥深い神秘を秘めた真実のひらめきです。真実と幻想とは、融和する概念であり、私の新しい世界なのです」
ヴァレンティナは知性面では非常に優秀ですが、生理面や身体面の問題を克服するためには、並々ならぬ努力が求められました。この戦いについて数年前、ヴァレンティナは次のように記しています。「ゴールを達成するまでの道の長さは想像し難いことですが、すでに勝利を収めた過去があることを思うと心が和みます」
プログラムをおこなっていた年月の間に身につけたものに支えられて、ヴァレンティナはこれから先の人生にも正面から向かっていこうとしています。戯曲作家か舞台監督として舞台芸術の世界で活動したいという長年の夢をかなえるために、創作ダンスのレッスンも始めました。1997年6月には、始めての舞台出演を果たしました。「ザ・ゴール(目標)」というタイトルのバレエで、この舞台をつうじて彼女は、自らのゴールを達成する決意を表現しました。
1997年9月には、創作の才能と身体的にしっかりした状態であることが認められて、ボローニァで最も権威ある劇場でおこなわれた舞台芸術の総合ワークショップのメンバーに選ばれました。何時間もの厳しい訓練を含む40日間のワークショップの最後に、ヴァレンティナは他の障害者やプロの俳優やダンサーと 共に舞台に立ちました。5日間にわたる公演では、身体表現のパーフォーマンスと、ビュヒナーの戯曲2作が上演されました。
現在ヴァレンティナは、大学での勉強を続けながら、戯曲作家養成のコースで勉強しています。また創作ダンスも続けています。
ヴァレンティナは生まれてからずっと、根っからのファイターでした。そして今、自らが学んだものを、人々の心へと伝えようとしています。1996年、ヴァレンティナは次のように書いています。
「今私は大学に通っています。友人もたくさんいますし、さまざまなことに関心をもっています。要するに人生全開というところでしょうか。
ときにはこれまでのことを振り返ってみて、現在の私になるまでの一歩一歩がどんなに遅い歩みだったか、苛酷だったか、誰からも認められないものだったか、それを実感しています。
また、研究所のプログラムをやらなかったら、なにもできるようにはならなかっただろうことも実感しています。
困難を抱えてこの世に生まれてから7年後、私たちは人間能力開発研究所のことを知り、すぐに手紙を出しました。私が脳障害だったからです。生まれたときに酸素が大量に不足したために、重度の中脳障害となりました。
まったく体は動かず、私が話すことは両親以外の誰にもわからず、視覚の収束が悪かったために読むこともできませんでした。この子のためにできることは何もない、と誰もが言いました。
研究所にたどりついてプログラムを始めるまでは、私はこういう惨めな状態だったのです。
挫折あり、勝利あり、失敗ありの年月でしたが、そのなかでも私は次々とゴールを達成していきました。そうしながら成長し、機能も大きく向上して、私は別人になりました。いまの私があるのは、プログラムのお陰だと心から思っています。これは運動面のことだけではありません。
プログラムをおこなうことによって、私の決意はますます強くなり、人生の道を選ぶ助けとなり、より強い自信をもてるようになり、考え方も安定してきました。
プログラムによって私は、ほんとうの人生を手に入れました。その人生は私に、責任をもって生きていけと命じるのです。」